ファミリーヒストリーブログ

新田氏(群馬県太田市)

上野国新田郡より起こる。現在の群馬県太田市です。新田氏は清和源氏義国流。清和天皇-貞純親王-源経基-満仲-頼信-頼義、源頼義の長男が鎮守府将軍源義家で義家三男の義国の長男義重(〜1202年)が新田氏の祖で、義国の次男義康(〜1157年)が足利氏の祖です。なお、鎌倉時代から南北朝時代に活躍した新田義貞(1300年〜1338年)は新田本宗家の8代目になります。新田氏の家紋は写真にある「大中黒・新田一つ引」です。お墓は文久3年(1863年)とあります。戦国時代に新田宗家を継承したのは岩松氏で、明治維新(1868年)後に岩松氏と由良氏ともに新田姓に復しました。その事から岩松氏等の末裔の可能性がありますが、明治維新前の為に新田家の宗家か気になります。

神宮寺氏(山梨県甲府市)

神宮寺氏は清和源氏義光流の武田氏族。八幡太郎で知られる源義家の弟が新羅三郎義光です。源義家は鎌倉幕府を開いた源頼朝と室町幕府を開いた足利尊氏の祖先です。源義光の孫である源清光の次男信義(1128年〜1186年)が甲斐源氏4代目で初代武田氏を名乗り、その武田信義の六男が神宮寺を名乗ったと伝わります。なお、戦国大名で有名な武田信玄は武田信義の16代目にあたります。武田神社の北方に神宮寺一族のお宅が複数あり、そこが神宮寺氏の発祥の地だと思われます。

松浦氏(長崎県と佐賀県一部)

肥前国松浦郡より起こる。現在の長崎県と佐賀県の一部です。嵯峨源氏融流の渡辺氏族。紫式部「源氏物語」の主人公光源氏の実在モデルと伝わるのが嵯峨源氏融流初代の源融です。嵯峨天皇-源融-昇-仕-宛-渡辺綱。鬼退治で有名な渡辺綱の曾孫の久が松浦氏の祖で松浦を名乗りました。写真は平戸松浦家の4代目松浦鎮信の墓で江戸下屋敷内の松浦鎮信が開基の天祥寺にあります。渡辺一族の家紋は三つ星に一文字で、松浦氏は三つ星の家紋を用いており、松浦家で三つ星の家紋はこの末裔の可能性があります。

北方氏(岐阜県本巣郡北方町)

美濃国本巣郡北方庄より起こる。現在の岐阜県本巣郡北方町です。清和源氏で摂津源氏の土岐氏族。清和天皇-貞純親王-源経基-源満仲-源頼光の五世代後の光基の養子となった光衡(1159年〜1207年)が土岐氏の祖と言われており、土岐光衡の三世代後の頼貞-頼遠(〜1342年)-頼興が北方庄を領して北方頼興を名乗ったと伝わります。土岐一族は桔梗の家紋を用いており、北方家で桔梗の家紋はこの末裔の可能性があります。

山上氏(群馬県桐生市)

上野国勢多郡山上庄より起こる。現在の群馬県桐生市新里になります。平将門を討伐した藤原秀郷の六世孫の成行が藤姓足利氏(源姓足利氏とは別)の始祖となり、足利家綱の子の高綱が勢多郡山上庄を領して山上氏を名乗りました。山上高綱は平安時代後期の武将で山上城を築城したと伝わります。

赤塚氏(東京都板橋区)

東京都板橋区に赤塚城跡があります。赤塚氏は秩父平氏の豊島氏の庶家と伝えられています。太田道灌が1477年に豊島氏の平塚城(東京都北区)を攻めた時に有力庶家の板橋氏や赤塚氏が戦死したとの事です。赤塚城は太田道灌を頼ってきた千葉自胤が治める事になります。城の南方には東京大仏と板橋氏の菩提寺である乗蓮寺。千葉自胤の菩提寺の松月院があります。


■おすすめルート(徒歩約45分)
①東武東上線成増駅→②板橋区立郷土資料館→③赤塚城→④乗蓮寺→⑤松月院

一瀬氏(山梨県巨摩郡)

一瀬氏は山梨県巨摩郡と八代郡に名族が多い。「九一色衆十七騎」に一瀬平三がいました。諏訪氏の一瀬氏と同族と思われます。

Mr. Ichinose has many famous people in Yamanashi Prefecture Kamaku-gun and Yatsushiro-gun. Ichinose Heizou was in 'kuishiki masses Nineteen 17 Riding'. It seems to be the same family as Mr. Ichinose of Mr. Suwa.

森戸氏(千葉県香取郡)

森戸氏は千葉県香取郡森戸荘より起こる。千葉氏の一族。千葉常胤(1118年〜1201年)の六男の東胤頼は東氏の初代です。東胤頼の嫡男の東重胤(1177年〜1247年)の5番目の胤有が森戸荘の領主となり森戸を名乗ったと言われています。


 Mr. Morito occurred from Morito-so in Katori-gun, Chiba Prefecture. Mr. Morito is a family of Mr. Chiba. The sixth Tou Taneyori of Chiba Tsunetane (1118 - 1201) is Mr. Tou's first generation. It is said that the fifth Taneari of Tou Shigetane (1177 - 1247) of the Tou Taneyori's estate became the lord of Morito-so and gave Morito.

村上氏(千葉県八千代市)

千葉県八千代市に米本城跡があります。村上国綱・綱清が1532年から1558年に城主と伝えられています。城の北方にある長福寺は村上氏の菩提寺で綱清の墓と伝わる五輪塔があります。米本城の村上氏の出自は不明です。

■おすすめルート(徒歩約50分)
①東葉高速線村上駅→②八千代市立郷土博物館→③長福寺→④米本城

Yonemoto castle (Yachiyo city, Chiba prefecture)

Yonemoto castle ruins are in Yachiyo city,Chiba prefecture. Murakami Kunitsuna and Tsunekiyo have been reported as castle owners from 1532 to 1558. Tyofukuji in the northern part of the castle is Mr. Murakami 's family temple and there is  the Tombstone which is communicated with the tomb of Mr. Murakami. The origin of Mr. Murakami of the main castle is unknown.


■ Recommended route(about 50 minutes on foot)

① Toho High-speed Line Murakami Station → ② Yachiyo City Municipal Museum of Local Autonomy → ③Tyofukuji → ④Yonemoto Castle