最上氏(山形県山形市)

最上家のお墓の家紋が「三つ引両」の件の続報です。
お墓は現在東京都台東区西浅草の萬隆寺にあり、最上義光の孫の義俊、義俊の長男義智、また義如以降は萬隆寺に葬られているとあり、また義俊の二男の義長の系統も萬隆寺です。萬隆寺は曹洞宗で元中5年(1388年)玄路統玄によって出羽国に草創して、のち兵火によってハ世路山が江戸湯島に移して、湯島で火災にあい現在地の台東区西浅草に換地されています。資料に義俊の直系は「二つ引両」とあり、義長の系統には「二つ引両」とは記載しておらず、「引両筋」とある事から、義長の系統が「三つ引両」を使用していたかもしれません。

最上氏は出羽国最上郡山形(山形県山形市)が発祥地で、清和源氏足利氏の一族である奥州探題の斯波家兼(1308年〜1356年)の次男の斯波兼頼が羽州探題最上氏の祖で山形城を本拠としました。戦国時代には最上義光(1546年〜1614年)が57万石の大名となり全盛期を築き上げました。写真は「旧山形城主最上家之墓」で、旧家臣が明治時代に建立したと伝わります。最上家の家紋は清和源氏足利氏流の「二つ引両」ですが、写真のお墓は「三つ引両」であり疑問が残ります。